フリーランスになる昔、正社員を辞めた話【失敗した就職】
今回は少し自分語りになるんですが、過去の自分に言ってあげたい言葉として書いてみようかと思います。
私は現在フリーランスのエンジニアですが、そんなに順調でもありませんでした。正社員で結構なブラックIT企業に勤め、契約社員から派遣社員、そしてフリーランスになり今に至ります。その経験を踏まえて、今回は正社員を辞めた時のお話をしようかと思います。
本記事の内容
- フリーランス(現在)が新卒で正社員として入社したのは独立系システム開発会社
- 正社員の頃働いた会社は今から思うとまぁまぁなブラック
- 正社員を辞めるきっかけとなったプロジェクトに入る
- そして退職へ
- 正社員を辞めた過去の自分に言いたい事
フリーランス(現在)が新卒で正社員として入社したのは独立系システム開発会社
昔でいうSIerの下請けです。今で言うとベンダー企業のパートナー企業でした。
当時は今ほどITが普及していたわけでもないですが、ゲームプログラマーという職業があるのを小さいときから知り、なんとなくパソコン使って仕事したいなあ、が業界への興味の最初の始まりでした。
学生の頃って結構本とか映画とかをひたすら見ていたんですが、その趣味の時間の大体2割くらいを使ってパソコンを触っていました。
ほとんどワープロ代わりですけど。それでも周りの友人よりは使いこなせてたと思います。
話を戻します。新卒で入社した社員は13か14人、東京3名、浜松2名、大阪7、8名(記憶が定かじゃないです。)
普通ってここで新人研修ってあるんですよね。たぶん。
この会社はありませんでした。というかあったんですけど、軽く画面を作ってその後は実際の業務でやりましょう的な。今でいうOJTなんでしょうけど、
入社1週間、大阪で研修という名の製造をいきなりノースキルで新人ばかりで開始です。
1年先輩とかも教えてくれていましたけど1年先輩です。大体の事がわかっていません。
さて、そんなこんなの1週間、入社初日から22時より前なんかに帰った記憶がありません。
1週間の終わりのほうはたぶん0時回っていた気がします。
その1週間が終わると状況が激変します。
確か水曜日か木曜日だったと思います。突然私ともう一人以外が全員別室に呼ばれました。
ん?と想いながらも若干なぜ呼ばれなかったんだろうと不安になりましたが、10分ほどで皆戻ってきました。
同期が一人口を開きました。
「東京いくんだって俺たち」
「え?」
呼ばれなかった私達2名以外全員だという事がわかったのはもう少ししてからでした。
次の週、本当に彼らは東京に行きました。確か日曜移動だったと思います。
正社員の頃働いた会社は今から思うとまぁまぁなブラック
そして私達2名はその後どうなったかと言うと、なんと京都の現場行きでした。
まぁ知り合って間もない同期より我が身です。あーよかった。ってぶっちゃけ思いました。
しかし待っていた現場がいわゆる消費者金融の与信管理システムでした。
いわゆるサラ金みたいな感じですね。はい。そうです。想像通りめっちゃ怖い現場でした。
当時マジでどう見てもカタギの人じゃないようなユーザーと、ベンダ(元請け)もなぜかどう見てもカタギじゃなそうな雰囲気で、
なんというかその中で派遣されてきた下請け企業の先輩がもう髪もヒゲもボサボサでいじめられまくっていたような現場でした。
まぁ、普通に思いますよね。
「何ここ・・・?」
同じように毎日が定時なんて帰れるわけがありませねん。怒号飛び交う現場で、
「おう、お前ら帰っていいぞ」って言われるまで帰れるわけがありません。
いわゆる兄貴が帰らないと帰れない組ですよね、これって。
入社2、3か月目で結構「ここってやばくね?」って思っていました。
まぁ、今なら一瞬でわかりますが、この時点で完全に就職失敗ですよね。
半年後、自社に戻りました。同期のメンツが1人戻ってきてました。
顔色、といか顔は完全に無表情になっていました。
久しぶりに会話すると驚いた事に、まだ他の彼らは帰ってきていませんでした。
プロジェクトがずっとまだ続いていて、ずっとテストをしているそうです。
半年もテストって、今思うと何なんでしょうね。炎上どころじゃないですよね。
話をもう少し聞くと、月曜から金曜まではホテルで寝泊まり。
朝は10時開始で、夜は0時か1時までを繰り返し、金曜の夜に新幹線で戻ってきて、月曜はまた新幹線、という生活を半年繰り返していたんです。
「・・・・!」
普通の反応しました。絶句というか、えっ・・みたいな。
その1人戻ってきた彼は何しに戻ってたかというと退職手続きでした。
この時点で早く辞めればよかったのに、私の後悔の一つ目の節目はここです。
ここで辞めておけばよかった。
まぁ、私自身は、ここまでひどい事はなかったですが、徹夜作業とか当たり前な職場でした。
1時2時に帰るのは当たり前、会社にいる時間が長い人ほど評価されるウルトラ古典的なシステム会社でした。
正社員ってこんなもんかな、と思っていた私は、今ならさっさと見切りをつければよかったのに、忙殺されてまくっていました。
いわゆるセルフマインドコントロールと言うべきか、自分でこれが普通と思うようになってしまい、
死んだ目になって3年目に突入しました。
今思うと、なんでまだいるんだよ!笑です。
まぁブラックですよね。これくらいやってたよ!って人もいるとは思いますけど
当たり前とかそういう前にブラックかブラックじゃないかというとブラックですよね。
正社員を辞めるきっかけとなったプロジェクトに入る
3年目に証券会社のシステムの仕事を担当するように言われました。
ただ、開発のフェーズはほとんど終わっていて、もうすぐユーザー試験とかそういうフェーズでした。
じゃ、何をすればいいのかと聞くと、
障害試験とか性能試験などでした。特に仕様をしらなくても一般的な
サーバーの線が切れたとか、大量リクエストで負荷を測定するとかそういう仕事でした。
現場は東京という事で、月曜に行って、金曜に帰るくらいで、終わるんじゃないかな、みたいに話されて1週間出張のつもりでいきましたが、実はそうじゃなかったのです。
×:月曜から金曜まで行って終わる→今週の金曜で作業終了する
○:月曜から金曜まで行って終わる→月曜から金曜作業すればいつかは終わる
という意味だったんです。もう社員を送り込むためには滅茶苦茶です。
つまりあの過去の同期の彼らと同じような状態です。
ただ、その頃の私は仕事ってやりきってなんぼ、文句を言うならやってから、みたいに綺麗に洗脳されてたのと、もう当たり前みたいになっていたので、もう無反応でした。
たどり着いたプロジェクトは多国籍プロジェクト
行けば驚いた事に多国籍プロジェクト。
私の席の前はアフリカ人で右前はカナダ人、右はドイツ人で左はスペイン人。左前は・・忘れました。
どこの外国?でした。
もちろん飛び交う言語は基本英語。
質問も英語。会話も英語。どこを見ても英語。この時点で結構詰んでました。
何を思って上司は私にこんな所行かせたの?って思いました。
そして退職へ
日常会話ならついていける物の、ビジネスの会話なんてもう無理ゲーです。
最初話しかけてくれた外人も次第に話しかけなくなってきて、日本代表というほどでもないですけど、もはやその席では一番しゃべらない陰キャ炸裂です。
障害試験するには各セクションの協力が不可欠なで、いちいち歩き回っては、身振り手振りで調整をしに行ってました。
しかも輪をかけるように悪い事は重なりそこの日本人のプロジェクトマネージャーが帰らない人で、深夜2時や3時まで帰らない人でした。次のは日は普通に9時半出勤です。
外人が帰ろうが何しようが好き勝手にさせていたのですが、日本人は帰ることを許してもらえませんでした。
もう、最悪です。最悪どころじゃないです。なんでいたんだろう?
徐々に疲れ果ててきて、なんと年末。たぶん、3、4か月過ぎてたと思います。
12月30日に帰る予定でしたが、仕事が押して31日に。
ただ、今年中やらないといけないテストがあるとプロジェクトマネージャーは言いますが、今年中に終わらないといけないテストはカナダ人とドイツ人が必須なんです。
でも彼らは12月15日からクリスマス休暇で帰省しているんです。それも1月末まで。無理ゲーすぎというか、無理です。
勝手に彼らの担当部分を触ることも触れる事もできず、無理だと何度も言っているのに、マネージャーは「年内に終わらせろ!」と状況を聞いてくれません。
今思うとマネージャーも結構、精神的におかしな状況だったんじゃないかなと思います。
私の上司と一緒にさすがに明日は正月だし、ここしばらくキツい状況で働いていたんだから帰らせてくれと、皆プライベートがあると言った時に帰ってきた言葉がこれでした。
「プライベートなて関係ねえんだよ」
無茶なスケジュールも度を過ぎていた計画で、解決策を提示するわけでもなく、ただ怒るだけのプロジェクトマネージャーにその一言を言われて何かの糸が切れました。
嘘みたいですけど、何か音がしました。切れる音が。
そのまま無言で後ろを振り返って、机の上を片付けて、荷物を片付けて帰りました。
「待ってくれよ・・ここはなんとか・・」
と後ろから上司の声が聞こえてきたんですけど、声の内容を聞いて再びガックリ。
上司の解決策は我慢しろって事でした。
振り返りはしませんでした。すみません、とは言ったものの。
確かに上司は仕方ないと思います。立場上そんな事もできないかもしれません。
まぁ下っ端の下っ端だったからできた事だとは思います。
いろんな現場で電話が物理的に飛んで来たりするような、よっぽどの事でも耐えてはいました。
今回のこのプロジェクトでもなんとか責任放棄とかしたくないから、と思いアラートをあげたらなんとかしてくれると思い、報連相はしてきていました。
考えれる限り結構いろんなチャンネルでSOSを出していた気がします。
普通なら入社2、3年のぺーぺーが話せる事もないはずの常務まで直接アラートを上げるくらいの事はしていましたが、スルーでした。部長も常務もスルーでした。元請けに頭が上がらないからです。このへんで結構絶望したかもしれません。
ああ、こりゃどうにもならないな・・。と思い年末の顛末です。
正月明けに辞表を出しました。結果的には現場放棄ですから、そこはけじめつけないと、とその当時は何か責任を感じてそうしていました。
慰留はされました。慰留という名の別プロジェクトでうやむやにされそうになって3月まで引っ張られましたけど、転職先が決まったので、無理やり退職日を決めました。
今から思うと無理やりでもないんですが。
と、まぁ、すごいですよね。今思うと、かなりの社畜っぷりでした。
そして契約社員として、次の会社に移りました。
それからフリーランスへの道が徐々に始まりますが、その後の話はまたいずれ。
新卒初案件から退職に至る案件の間もまぁまぁなブラックな経験をしていますが、なんとなくしか覚えていません。
参考?にはならないでしょうけど、一応参考まで 笑
フリーランスになるにはまだ少し後の話です。
正社員を辞めた過去の自分に言いたい事
入社1週間で気づいて、はよ辞めとけ(笑)
猛烈に控えめに言って大失敗な就職ですよね。
辞めるまでの3年、いろんな経験はしましたけど、その会社じゃないと経験できない事なんてありませんでした。
というか、会社てほとんどそうなんじゃないですかね。
その会社で耐えて手に入るものと、他の会社で手に入る物の差って習得できるスキルであって経験的なもので今後の人生に活かせる内容なんて同じような物ではないでしょうか。
やりきる事とか責任を持って仕事をこなすという事は大事ですが、これはもう結構しんどいな、とか病みそうだなと思ったら、すぐにでも仕事を変えてもいいかと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ちょっとした昔ばなしでした。
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